紙の月

紙の月を見終ると、少し怖くなる。自分も、一歩間違えると、奈落の落とし穴に落ちてしまう。今の変哲のない生活は、一瞬にして崩壊するのだ、と怖くなる。このように恐怖を覚える自分と主人公を重ねて、その類似性を感じてしまった。

おおよそのあらすじは、以下の通りである。
宮沢りえ演じる主人公・梅澤梨花。梨花は、平凡な生活を営む、真面目で大人しい主婦である。一見夫との関係性もよく、愛されているように見えるが、実際には夫は梨花に関心がない。何をするにも夫の許可を取らなくてはならない生活に、梨花は次第に窮屈さを覚えるようになる。

そんな時、パートとして始めた銀行員の仕事で、契約社員に昇格した。夫との心のすれ違いが続くなか、梨花は仕事に打ち込むことを決意し、フルタイム勤務に変更した。そうして仕事に打ち込むうちに、とある大口顧客の大学生である孫の光太と恋に落ちる。そして、普段は買わない高級化粧品を顧客からの預り金で購入してしまう。この出来事をきっかけに、梨花のあらゆる感覚が狂い始めた。

不倫におぼれ、金銭感覚が完全に狂った梨花は、銀行のお金を横領し続ける。そしてある時、もう返せない額を浪費してしまったことに気が付き、意を決して逃げる覚悟をしたのであった。

この映画は、とにかく恐ろしい。自分は決して横領や不倫とは縁のない人間であると考えている、そんな方が多いであろう。しかし、あなたと主人公・梨花は表裏一体のような存在なのだ。ストーリーそのもの、宮沢りえや、不倫相手の光太を演じる池松壮亮の迫真の演技、そして心が冷たくなるような美しさをもつカットの数々。これらの要素が、梨花が落ちた心の闇に、自分も近い距離であることを感じさせるのである。

宮沢りえと池松壮亮の演技は素晴らしい。宮沢りえが、真面目な主婦から、横領や不倫に手を染める主婦へと変貌するまでの細かい変化。これを、目の色や、小さな身動き、声で見事に演じているのだ。さすがは国民的女優と言われる実力者である。また、池松壮亮の演技も非常に渋い。彼は、「平凡な大学生」を完璧に演じている。

例えば、主人公・梨花の不倫相手が、俳優オーラの漂う吉沢亮や、福士蒼汰などであったら、この映画は成り立たない。あくまで、平凡な大学生に惚れ、その穴から出られなくなってしまう、という事実が重要なのである。よって、池松壮亮のあくまで普通で、オーラがあるわけでもなく、素朴な演技は、映画「紙の月」に大きな貢献をしたといえるであろう。

また、全体的に、コントラストが低めのカットが多い。なんというか、心が冷たく、薄暗くなるような絵が多いのだ。この見事な撮影方法により、映画鑑賞中、そして見終わってからもしばらくは、梨花の心の闇に引きずり込まれるのだ。そして気が付くと、自分も梨花の二の舞になってしまいそうで。ぞっとする。

以上のように、この映画は恐ろしい。下手なホラー映画よりも恐ろしい。映画の中だけに存在する「奈落の人生」が、自分のすぐそばにあるように感じ、ただただ心が冷たくなる。ここまで、映画の世界と、現実世界の境界線が薄い映画は、珍しいであろう。