
![]()
ヤン・ジーチェ役は二人一役で、若いヤンはブルガリア人のイヴァン・バルネフ、老ヤンはチェコ人のオルドジフ・カイゼルが演じて二人とも見事な名演だ。
バルネフ(写真上)は1973年7月15日ブルガリア生まれで、ソフィアの<アカデミー・オブ・パフォーミング>の出身。映画出演作に『カラブッシュ』(02)、『レディZ』(05)などがあり、メンツェルとは演劇での演出と出演で知りあった。若いヤンの演技はチャプリンを思わせると全米で絶賛されている。
老ヤンのカイゼル(写真下)は1955年5月16日チェコスロヴァキアのリベレツ生まれで、ブルノ音楽演劇学院とプラハ音楽芸術アカデミーで演技を学び、ヴィノフラディ劇団、イプシロンカ劇団、プラハ国民劇場で活躍。映画ではすでに学生時代にカレル・カヒニャ監督『愛』(72)に主演。以後、ヴァーツラフ・ヴォルリーチェク監督、ズデニェク・トロスカ監督作品、ヴラジミール・ミハーレク監督の『アメリカ』などで知られ、近年ではヤン・スヴィエラーク監督の「ダーク・ブルー」(01)、マリエ・プロハースコヴァー監督による『サメの頭』(05)に出演。渋みと風格を加えて舞台に映画に活躍している。
1978年2月20日ベルリン生まれ。ユリア・イェンチは今やドイツ映画を代表する女優だ。ベルリンのエルンスト・ブッシュ演劇学校で学び、舞台を経て映画に進出。「ベルリン、僕らの革命」(04年、ハンス・ワインガルトナー監督)で注目を浴びてバイエルン映画賞新人賞を受賞。「白バラの祈り ゾフィー・ショル、最期の日々」(05年、マルク・ローテムント監督)ではベルリン映画祭主演女優賞を獲得し作品はアカデミー賞外国語映画賞にノミネートされた。「ヒトラー ~最期の12日間~」(04年、オリヴァー・ヒルシュビーゲル監督)、『スノーランド』(05年、ハンス・W・ガイゼンドルファー監督)などで主演。最新作はヘルミーネ・フントゲブルト監督による『エフィー』(09年完成予定)で「善き人のためのソナタ」の主演俳優セバスチャン・コッホと共演、ファスビンダーとハンナ・シグラの『エフィー・ブリースト』への挑戦が話題を呼んでいる。
主演ではないがタイトル・ロール、というきわめて珍しい例が「英国王給仕人に乾杯!」のスクシーヴァネク給仕長役のマルチン・フバ(43年7月生まれ、写真左)。「この素晴らしき世界」(00年、ヤン・フジェベイク監)や「ルナシー」(05年、ヤン・シュヴァンクマイエル監督)でも知られるスロヴァキアの名優だ。
ヤンの人生の師のようなユダヤ人ヴァルデン氏を名演するのが、フバと同じくスロヴァキア出身で「スイート・スイート・ビレッジ」でおなじみの名優マリアン・ラブダ(44年10月生まれ)。
そして、<ホテル・パリ>のオーナーのブランデイス氏を演じるのはメンツェル映画に欠かせない顔となったチェコの名優ヨゼフ・アブルハム(39年12月生まれ)。メンツェル映画の出演はラブダが6作目、アブルハムが3作目になる。 メンツェル映画おなじみの俳優がもう一人いる。チホタ荘のチホタ氏を演じるルドルフ・フルシーンスキーJr.は、「スイート・スイート・ビレッジ」で医者を名演したルドルフ・フルシーンスキーの長男で同作で自身も出演。父フルシーンスキーはメンツェルの長編6作に主演した名優で、その没後に、メンツェルは「10ミニッツ・オールダー」のメンツェル編の全編を捧げたほど。フルシーンスキー家には代々この姓名を長男が継ぐ家訓(?)があるとかで、息子も、そのまた息子もルドルフ・フルシーンスキー(いや、その前の代かららしいとの説もある)。「スイート・スイート・ビレッジ」は3代の3人のルドルフ・フルシーンスキーが共演となったギネス・ブックものの映画でもある。
特別出演では、「メフィスト」などでハンガリーを代表する監督イシュトヴァン・サボーが百万長者の一人として登場。メンツェルとサボーは親友で、サボーがこの映画に出演したおかえしに、メンツェルはサボー監督の『Rokonok』に出演し、メンツェルの声(ハンガリー語)をサボーが吹替えている。
びっくりキャスティングはエチオピア皇帝で登場するトニア・グレーブス。ハイレ・セラシエという男性の皇帝を、なんと、チェコの人気ロック・グループMonkey Businessで活躍しているニューヨーク出身の黒人女性歌手が演じているのだ。
なお、皇帝の正餐会に登場する、はるばるアフリカからプラハの<ホテル・パリ>まで皇帝のお供をしながら最極上の料理に供されてしまうラクダは、いったいどれくらいの詰め物をいれられて絶品料理になったのか、クイズの絶好のネタかも。プラハでの07年1月の完成披露試写会に1頭のラクダが堂々と姿を見せたことが、プラハのリビチカさんのHPで写真つきで報じられている。その後リビチカさんから、この完成披露試写会のラクダが映画に出演したご本人で無事ご存命であったこと、名前はチェコの女性によくある「ヤナ」と教えていただきました。
アール・ヌーヴォーのホテル・パリの壮麗な美しさ、そして次々に登場する美女たちを絶妙な繊細さで描ききる映像は至芸といえよう。チェコ映画界が誇る名撮影監督ショフルならではの名人芸だが、ショフルとメンツェルは、メンツェルの長編第1作『厳重に監視された列車』いらい40年にわたる名コンビで、「英国王給仕人に乾杯!」は長編で9作目のコンビ作品。もったいないほどの映像美がさりげなく惜しげなく、全編にちりばめられている。
チェコの温泉地テプリツェ、1965年生まれ。5才の頃にトルンカのアニメ映画のヴァイオリン音楽の美しさに魅せられたのが音楽と映画との出会いだった。30才の若さでプラハのマルチヌー音楽院の院長に就任。ヤン・フジェベイク監督「この素晴らしき世界」(00年、アカデミー賞外国語映画賞ノミネート)の音楽で知られ、メンツェル監督に「英国王給仕人に乾杯!」の企画段階から声をかけられた。メンツェルは音楽への要求が緻密で、作曲を何度も重ねつつ、ついにまるまる2年をかけて完成したスコアの総分数は2時間を超えるほどだったが、実際に使ったのは35分くらいだという。
ニーノ・ロータとフェリーニへのオマージュがすばらしいオープニング曲(エチオピア皇帝の正餐会でもテーマとなる)から、サイレント映画調のブジェジナ自身の演奏によるピアノ曲、ハープがファンタジーをかきたてる
<降ってくるお札>の曲、ズデーテン山中の忘れがたいテーマ曲など、はじまりから音楽の豊かさが強く印象づけられる。
そのうえ、ブジェジナとメンツェルによる既存音楽の使い方が絶妙を極めていく。
チホタ荘での将軍の晩餐と続く饗宴では、ナチス時代にアメリカに亡命したイェジェクのブルース曲とチャールストン。
ホテル・パリのシークエンスではドリーブの<コッペリア>から、<祈り>でアール・ヌーヴォーの華麗さをいやまし、<夜明け>で百万長者たちの晩餐の美女ユーリンカの繊細な美しさを際立たせて、まるでドリーブがこの映画のために作曲したかのような見事さ。
ヒトラーがチェコ占領を強行した直後でBGMとして流れるジャズ調の女性コーラスは、チェコ語なまりのドイツ語の歌で、今では<対独協力者>の歌と位置づけられているが、“雨が降ってもなんだというの、私のまわりに男の子さえいればいいじゃないの”という、当時のチェコでのヒット・ソングを当時の音源を探し出して使っている。
ヤンとリーザの結婚式ではドイツ将校たちが歌う<ラインの守り>が入り、リーザがヒトラーの肖像画を見すえつつベッドインするシーンではワグナーの<パージファル>のSPレコード。時代考証も満点の完璧な映画音楽だ。
給仕や給仕人という言葉は、日本のビアホールやホテルのレストランで今は使われなくなり、ビアホールの場合、ビールを注ぐ人はカウンター・スタッフ、客に運ぶ人はホール・スタッフの呼び方に変化してしまったが、意味としてはビアホールでもレストランでも立派に存在し続けている。
映画のヤンがたどる、見習い給仕から、チホタ荘での給仕、ホテル・パリでのどんじりウエイターの時代(白い制服)も、ホテル・パリで主任ウェイターに昇格(黒い制服)以後も、すべて「給仕」だ。給仕長スクシーヴァネクは、日本流では、給仕長と支配人を兼ねたような地位らしいが、それでも「給仕」であることは同じ。もちろん、オーナーのブランデイス氏は給仕ではない。
チェコスロヴァキア共和国の建国は1918年。第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国が崩壊し、民族自決の原則でチェコスロヴァキア共和国が誕生したが、ドイツとの国境地帯を含む山岳地方のズデーテンにはドイツ人が過半数をしめていたため、この映画の後半で描かれるように、1938年にヒトラーが民族自決の原則の適用を求めてズデーテンに独軍を侵攻させ、同年ミュンヘン会談での英仏伊独による協定によって、ズデーテンをドイツ領に併合し、チェコはドイツの<保護領>の名でドイツの占領下に入り、スロヴァキアはドイツの<保護国>となって、チェコスロヴァキア共和国は消滅する。
ヒロインのリ-ザはズデーテンのヘプ生まれのドイツ人で、ズデーテンにおいては過半数民族だがチェコにおいては少数民族の立場だ。一方、併合後のズデーテンのチェコ人はドイツにおける少数民族となった。
ズデーテンは第二次大戦後には、復活したチェコスロヴァキア共和国に戻り、ドイツ人は追放された。
「8」のつく年はチェコの歴史に縁が深いという。チェコスロヴァキア共和国の建国は1918年。その共和国がヒトラーのズデーテン侵攻によって崩壊したのが1938年。第二次大戦後にチェコスロヴァキア共和国が復活して3年後に共産党独裁政権が成立したのが1948年。<プラハの春>、そしてそれを圧殺したソ連圏の武力侵攻の<チェコ事件>が起きたのが1968年・・・。監督メンツェル自身も1938年生まれだ。
日本のビールの大半はチェコ系のビール。ただし本場のチェコ・ビールとはホップの量にたいへんな違いがあると、チェコに旅した人が日本に戻って必ずグチを言うようだ。
映画の前半、田舎町のレストランで老人たちがボヘミア最高のビールはどこの地ビールだと言い争い、3つの地ビールの名が出る。1番目のプロチヴィーンは南ボヘミアの町。2番目のビールは、南ボヘミアのヴォドニャヌイで、今はビールはもう作っていない。3番目の二ンブルクは中部ボヘミアの町で、フラバルが少年期だった1919年から1947年までフラバル一家はこの町のビール工場の中で暮らしていた。フラバル自身もビール工場で働き、その体験を下にして小説<断髪式>を書いたので、同ビール工場はフラバルに敬意を表し、代表的なビールに<断髪式ビール>(Postřižiny)と名前をつけ、ボフミル・フラバルの記念プレートを飾った。そのプレートには、フラバル自身の文が刻まれている。"モットー=記念プレートなんて掲げて欲しくない。だがどうしてもというなら、犬が小便をする高さにしてほしい。"














ホテル・パリ(ホテル・パジーシュ)はプラハの一流ホテルであり、今もアール・ヌーヴォーの美しさで有名だ。原作でも映画の役名にもなっているブランデイス家が創始者で現在もオーナー。しかし撮影にはすぐ隣の市民会館の、やはりアール・ヌーヴォーが華麗なレストラン、フランツォウスカー・レスタウラツェが舞台となった。また、最初は<チホタ荘>として、次に<優生学研究所>になり、やがて独軍傷痍軍人の病院になり、そして戦後にホテル・ジーチェにと大活躍する場所は、さるユダヤ人富豪が理解を示して撮影に供してくれた別荘だという。