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2008年11月18日(火)13:30~
於:帝国ホテル 鶴の間
質問(以下、Q):日本の印象は?
メンツェル(以下、M): 日本に来てホテルにいるだけなので何とも。ホテルはとても気に入っています(笑)。皆笑みを絶やさず接してくれ、それはチェコでは稀なのでとても嬉しい。今回滞在が短いのが残念です。
Q:原題の「私は英国王の給仕人だった」は原作も映画も同じタイトルです。英国王は映画に出てきませんが?
M: 原作者のフラバルに訊いて下さい(フラバルは97年没)。私はあえて彼にそのことを訊きませんでした。彼の作品は面白い題名が多いのですが、これについての言及はありませんでした。またなぜ女王じゃないのかと言われる人もいるかもしれませんが、フラバル作品にはタイトル以外でも面白いエピソードがいっぱいです。
Q: フラバルとの出会いは?
M: フラバルの作品はしばらく発禁でしたが、50年代にようやく少し出版されるようになり、私は、雑誌に掲載された短編小説を読み、即物的なものとユーモアが合わさった彼の作品がとても気に入りました。その後<海底の真珠>を読み(65年のオムニバス映画の1編『海底の真珠/バルタザール氏の死』として本作を監督)、そして個人的に知り合う機会を得ました。彼は知識人然としたところもなく、体格もよくサッカー選手のようだった。年は一回り以上違いますが、すぐに仲良くなりました。彼はビールが好き、私は大嫌い。彼は散歩好き、私は嫌い。彼はお金持ち、私は貧乏と自分とは対極だったからでしょう。経験豊富な彼に多くを学びました。
Q: 「スイート・スイート・ビレッジ」でもビールのシーンがあるし、皆メンツェル監督はビール好きだと思ってたのに嫌いだとはびっくりです。
M: 匂いだけでもう結構(笑)。犯罪映画を作るからって監督は犯罪者とは限らないでしょう? 同様にビアホールを舞台に映画を作ってますが、ビール飲みだとは限りません。
Q: 主人公ヤンを演じたイヴァン・バルネフを抜擢された理由は?
M: 主人公のヤン役には体格が小さく、18〜25才を演じられ、運動能力があり、ダンスの上手く、2時間の上映時間観客を惹き付けるカリスマを持った俳優を捜していました。チェコや他の国でも繰り返しキャスティングをしましたが、見つかりませんでした。イヴァンは私がソフィアで演出した3つの舞台に出演していました。プロデューサーは最初私がブルガリア人を選んだことに反対で、アメリカ人をキャスティングしたいようでしたが、彼ほどの資質を備え、良い性格の俳優は見つからないと説得して彼に決めました。
Q: 日本の状況と違って性が身近にありますね。
M:フラバルは好んで性描写を書いています。セックスは食べたり寝たりするのと同じように日常的なこと。卑俗なことではないので何の問題もありません。お腹がいっぱいになると、ウオー!!(監督ここで突然大きな声で吠える)って表現したりするでしょう?
Q:チェコ事件の頃7年間活動を禁止されていたことについては?
M:チェコでは68年以降徐々にソ連に同調する人が増え、その頃私は映画でも演劇でも活動を禁止されていましたが、不服はありません。肉体労働を余儀なくされたりなど、もっと悪い状況の知識人もいたからです。ヤロスラフ・ハシェクの「兵士シュヴェイクの冒険」のテレビシリーズのオファーや、アメリカやイギリスのオファーもありましたが、没になりました。やりたかったものですが、できなくて苦しんだ訳ではありません。
Q:同じ頃亡命した監督も多かったと思いますが、亡命は考えなかったのですか?
M:ミロシュ・フォアマンは昔から格好良く女にもてて “高慢ちきな奴” と嫉妬していました。彼の『黒いピーター』はすばらしく、あんな奴が何で?と思いました(笑)。彼がアメリカに行ったのはよかった。「アマデウス」や「カッコーの巣の上で」はアメリカでしか撮れなかっただろうし、私の映画はチェコでしか撮れなかったでしょう。彼から “「英国王給仕人に乾杯!」を観た、イジー、すばらしい映画だ!” と手紙をもらい、それは今家の壁に飾っています。どんな映画祭の賞よりも嬉しい。ウッディ・アレンも賞賛のメールをくれましたが、それはメールだから壁には貼っていません。
Q:1989年11月(社会主義体制の崩壊)をどういう気持ちで迎えられましたか? それから20年近く経ちましたが今のチェコはどうですか?
M:当時は共産政権がなくなったことを誰もがよろこびましたが、今ではそのことを誰もが悲しんでいます。共産政権がなくなって退屈な状況になってしまいました。希望に膨らんだ89年11月以来、事態は我々の手に負えなくなって来ています。当初の熱狂は泡のように消えて政治家は政治のレベルでしか物事をとらえず、一般市民はもはや国や政治に影響をもてない状況になってしまっている。20年の変化は経済的変化で、共産党が約束したものとは違う。今は一握りの上層部が決めて我々は下の世界にいるだけです。
Q:チホタ荘での金髪女性の裸体のシーン等描かれますが、ナチス時代に本当に優生学研究所はあったのですか。
M:将来のドイツ軍兵士の母親を集めた研究所は実際に存在しました。それはヒムラーの考えでした。ドイツの敗戦が色濃くなって来て、新しいドイツの血を作る、ドイツの女性だけでなく、ノルウェーなどゲルマン民族の女性たちを集めた研究所は2,3カ所に存在しました。生まれた子どもたちも今ではいい年になっているでしょう。フラバルの描写は映画よりももっとグロテスクでした。
Q:チェコとスロヴァキアが分かれたことは?
M:連邦解体は平和裏に行われました。多くの市民は分離に反対しましたが、結果的にはよかったと思います。スロヴァキアの方がユーロの導入は早いですが、アイスホッケーではスロヴァキアはチェコには勝てません。
Q: すばらしい映画で私は2回見ました。カメラワークが素敵で、たくさん好きなシーンがあります。ヤンが廃屋に鏡を並べるシーン、アールヌーヴォーのホテル・パリ、乾杯のシーンなどです。監督のお気に入りのシーンは?
M: (お得意のおとぼけの表情で)わかりません。強いて言えば、冒頭のモノクロのシーンかな。できれば全編サイレントで撮りたいほどです。
Q: 「英国王給仕人に乾杯!」では音楽の打ち合わせを2年前からされたそうですが、今回特別にそうされたのですか?
M: 音楽のアレシュ・ブジェジナとは舞台では一緒に仕事をしましたが、映画では初めて。以前映画で仕事をした作曲家はもうこの世にいません。映画監督のヤン・フジェベイクが彼を推薦してくれました。ブジェジナは音楽の知識が豊富で、マルチヌー音楽院の院長で、音楽の振興につとめています。ホテル・パリのウェイターのシーン(トレーを軽やかに運ぶシーン。音楽はドリーブ)では音楽をかけて撮影したし、チホタ荘のシーンはイェジェクの音楽を使うよう強く主張しました。
音楽の準備に時間をかけるのは今回だけではありません。シーンを考える上で、先に音楽を考えてそれからドラマを考えたりもします。今回、アレシュ・ブジェジナは非常に優秀でした。
通訳:阿部賢一
会見採録:冨田三起子














