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― 「英国王給仕人に乾杯!」の映画化には極めてドラマチックな特別な経過がありましたね。原作者ボフミル・フラバルが映画化権を何人もの異なる人々に許諾していたため、あなたはプロデューサーのイジー・シロテクに映画化権が1本化されるように動かれた。シロテクが劇場用映画を製作すると理解してのことでした。ところが彼がその権利をテレビ局にミニTVシリーズ用に売り飛ばしたのであなたは激怒して、1998年のカルロヴィヴァリ映画祭で、2千人の観客の前で彼を杖で殴りつけた。あなたは不穏な行動を咎められてチェコの法廷に喚問されることになったのですが、なぜそれほどまでにこの特別な企画に情熱を燃やされたのです?
メンツェル この企画が特別だったからという問題ではありませんよ。あれは彼のモラルを欠いた行動に対する処罰です。なぜ杖で殴ったか。私はフラバルと話して彼に映画化権がまとまるように交渉していたにもかかわらず、彼は私に内緒でその権利をテレビ局に売っていたからです。私がこの映画化で尊重しようとしたのは、原作のプロットだけではなく、原作の精神です。
― あなたにとって、原作者フラバルとは?
メンツェル まちがいなく、ここ数十年のチェコ最高の作家です。私は恐ろしいまでに彼が好きで、第1作を読んでいらい、彼が書いたもの、出版されたものはすべて熱読しました。彼が<地下出版>の形でしか発表できなくなった時や、草稿の段階で私に貸して読ませてくれた時もそうです。彼が書くすべてに私は魅かれました。ものごとについて、人について、彼が書くすべてに愛がこもっていることは読めばすぐわかります。そうした愛がこもっている映画にすること、それが私の使命でした。
フラバルがこの原作を書いたときの状況も原作の物語と同じくらいに面白い。自分で原作のあとがきに書いているように、実に短期間に書き、他の小説のために考えていた多くのエピソードやアイデアをどんどん主人公の話に持ちこんだ。つながりを欠く要素の集まりだったはずなのに、それが見事な話法で一貫しています。この小説を読むと誰でも荒い激流を下っていく思いにさせられ、あちこちで自分と似たものを見いだしながら、言葉の奔流にどんどん魅せられていく。状況、人間の条件、キャラクターを描き出すフラバルの筆致は実に美しく、色彩にあふれています。フラバルが出版を禁じられていた時代に書かれたので、原作は草稿の形のまま、その草稿を彼から借りた仲間が読んでは自分のタイプライターに打ち出し、次に借りた仲間も同じようにしてまわし読んでいく、<地下出版>の形で生まれた小説です。
フラバルには、楽しんで、戯れて、よい笑いに昇華させる決定的な才能があります。それがこの映画で観客に伝わるかどうかが私の最大の関心事です。
他のフラバル原作の私の映画、『断髪式』や『厳重に監視された列車』とは違って、「英国王給仕人に乾杯!」はもっともっと複雑な映画です。
― 原作の物語はあなたの幼年期と合致する頃を含んでいます。戦時下のプラハや戦後の共産主義到来の時代など、あなた自身の記憶に重なるところがあると思うのですが、あなたにとってパーソナル(私的)な部分はこの映画にどれくらいあるのでしょうか? 原作にある要素以上に映画で描かれたところもあるのでは?
メンツェル 第二次大戦やチェコスロヴァキア占領やその間の話には、私はいつも興味を持ってきましたからね。キー・フォーカスと言ってよいくらいに、戦時中のプラハのことを鮮明に憶えています。この映画に私自身の経験や記憶から来たものも入っています。5才の子供だった私が街中でジーグ・ハイルの敬礼をさせられて、左手で挙手したので、母に右手で挙手するように直されましたよ。
― 「英国王給仕人に乾杯!」をベルリン映画祭で出品することの感想は? この映画は中央ヨーロッパの1930年代や1960年代の波乱の出来事を描いて、全体主義の支配者に対するコラボレーションの問題をテーマとして検証しています。今日の観客へのメッセージの意味あいは?
メンツェル フラバルは原作でチェコスロヴァキアとドイツの双方の歴史にふれていますから、これは私の映画でも無視できることではなかった。映画はチェコの近代史にふれつつ、さらに主には、チェコ人の性格やその"フレクシビリティ"を描いています。私は、今の若い観客や世界各国の観客に理解してもらえるような映画にしたいと思い、チェコスロヴァキアとドイツの観客だけでなく、と心がけました。もちろん、このような名声ある映画祭でコンペティションに出品されたことを喜んでいます。ベルリン映画祭に出品できたのは1990年に「つながれたヒバリ」で金熊賞をもらった時いらいです。
「英国王給仕人に乾杯!」は実に偉大な小説をもとにできた映画ですから、ストーリーラインが実にヒューマンで面白いということだけでも観客に喜んでもらえる価値はあると思います。私としては、これはチェコ人という人間についての映画です。それは必ずしもエンターテイニングであることを意味しませんが、チェコ人というのはなにがしか悲しみを感じさせ、それでいて同時におかしな人間なのです。
― 歴史劇映画としてなにか特になさったチャレンジはありましたか? そのための影響がキャスティングにもありましたか?
メンツェル 脚本を書いていた時にも撮影していた時にも心がけたことは、フラバルの考えをどんな観客にも理解しうるように、わかりやすいようにする必要があるということでした。撮影でのチャレンジということで言えば、最大の一つは、1960年代の外観を保っている家や屋敷、かつそれらの家や建物が戦争の痕を残して15年間棄てられたままであるというのを見つけ出すことでした。キャスティングでは、私はフリーハンドの自由を与えられていて、主役のヤン・ジーチェを演じたイヴァン・バルネフはブルガリアのソフィアで私が舞台演出をした時からよく知っていた俳優ですし、リーザ役にはプロデューサーのビエルマンが推薦してくれたのですが、ユリア・イエンチはすばらしい選択でした。
― あなたには長年にわたるすばらしい作品歴があります。それはいかに始まったのか、そして、長編第一作『厳重に監視された列車』がもたらした影響についてお聞かせください。
メンツェル 『厳重に監視された列車』でいくつもの賞をいただき、なかでも、アカデミー賞のオスカーによって栄光がもたらされ、プロデューサーたちからの私への関心を呼ぶことができました。しかしそのすぐ後の1968年夏、ソヴィエトの戦車がチェコスロヴァキアに侵攻して、栄光とやらも消えてなくなりました。私はチェコの映画監督で仕事を禁じられた最初の人間で、なんとか映画をつくれるようになったのは1974年でした。その後、以前の栄光らしき感じを味わったのは何年もたって、何本も作ってからのことです。
― この作品「英国王給仕人に乾杯!」はあなたのキャリアで新しいトレンド(潮流)を意味しますか? この時代のチェコを描いたあなたの他の作品につながりを持つ映画ですか?
メンツェル 映画を撮っている時、自分のベストを尽くすことはしますが、トレンドについてはまったく考えていません。
― 次回作の企画は? 英語映画を作るつもりは?
メンツェル 企画はありません。自分の時間やエネルギーを費やして、企画を進めようとしたり、資金探しをしにいくことはしません。私は単なる監督ですから。新しいリーズナブルなオファーが来るのを待つだけです。













