「ジャン=リュック・ゴダール復活のときイマージュが到来する---「映 画 史」をめぐって」</font></b>


野 崎 歓
 <季刊 インターコミュニケーション>no.32, Spring 2000より
NTT出版刊/1400円


その1


00. はじめに

 1998年、ジャン=リュック・ゴダールは「映 画 史」を完成した。4部構成、全8章、上映時間のべ4時間半の大作は、全4巻のヴィデオ・セットとして発売され、同時にやはり全4巻の書物というかたちでも刊行された。長い時間をかけて徐々にその姿をかいま見せつつ、怪物的性格ゆえにすでにして神話化されはじめていたゴダールの「大全」が、ついに全容を現わしたのである。
 なによりもまず望まれることは、自らの目で「映 画 史」を見ることであり、「映 画 史」を体験することだ。まちがいなくそれは、観る者の存在を激しく揺さぶる体験である。映画が映画であるゆえん、そしてまた20世紀が映画の世紀であったゆえんを、ゴダールは画面の力、音+映像(ソニマージュ)の切迫そのものによって問いただすのである。
 さいわい今年、日本では「映 画 史」全体が劇場で公開される予定で、われわれは最良のコンディションのもとでこの体験を果たすことができるはずだ。作品と出会う以前に解説を読んで何事かを理解したつもりになるのは、とりわけ「映 画 史」の場合、ぜひとも回避すべきことにちがいない。批判的言説に媒介されることなく、スクリーンに繰り広げられる未知の衝撃に瞠目し、驚愕したいではないか。そしてまた、ヴィデオ4巻を通し「映 画 史」を体験したばかりの筆者にとって、そこで味わった思いを明晰な論評に転ずるだけの余裕あるスタンスなど、にわかに取れそうもないこともまた事実である。したがって本稿は、とにかくこの恐るべき「映 画 史」への素朴な誘いとしてのみ綴られることになる。「映 画 史」はいかなる映画として成立したのか、なぜわれわれは「映 画 史」を体験しないわけにはいかないのか。それを以下に素描してみよう。


01.「映 画 史」前史

 映画の歴史を考える映画。言うまでもなくそれはヌーヴェル・ヴァーグの映画の特質であり、とりわけゴダール映画の中心的命題であった。先行する多くの作品への暗示、めくばせにあふれた《勝手にしやがれ》(1959)以降、ゴダールは自作を通して、常に過去の映画の書き直しを実践してきたのである。
 しかしながら狭義の映画史に対する積極的関心をゴダールが示しはじめたのは、彼が映画作家としての経験を豊かに積んだ後のことだ。まず1975年、彼は「映画史の知られざる側面」と題する映画の構想を洩らしている。それが具体化への第一歩を踏み出したのは、1978年秋、モントリオール映画芸術コンセルヴァトワールに招かれて行なった一連の講義においてである。ここでゴダールは「映画の歴史を、単に年代的なやり方で語るのではなく、むしろ、いくらか考古学的ないしは生物学的なやり方で語ろう」というアイディアを述べ、その実現への手がかりとして、講義ごとに2本の映画を上映し、「映画の世界でかつてなにがどう進行していたかをさぐる仕事」を学生を前に試みたのである。
 このモントリオールでの講義において、オットー・プレミンジャー《堕ちた天使》(1945)やフリッツ・ラング《M》(1931)、ジャン・ルノワール《女優ナナ》(1926)といった映画の断片を上映しかつ論じたことが、ゴダール版映画史創造の端緒を開いた。文章によるのではなく、ゴダールの言葉によれば映画自体のうちにひそむ「不可視の」映画史を取り出し、音と映像による歴史を構築する作業が開始されたのだ。しかもそこでゴダールは古典的作品と並べて、それらの作品と何らかの関係にある自作を同時に上映し、自らの映画作家としてのキャリアを振り返る構成をとった。このことは以降の展開にとって決定的な重要性をもつ。そこには映画の歴史と自己の生とを不可分のものとして重ね合わせようとする姿勢が、すでにはっきり表われている。
 「私は現在50歳で、すでに自分の人生を終えているわけで、残りの30年ほどの年月は、こう言ってよければ、50年たった元金のように、自分の人生の利息を楽しみながらすごしたいと考えています。つまり私は今、自分の人生の利潤を引き出そうと考えているわけです」。
 だがぬくぬくと利潤を吸う、功なり名を遂げた映画作家のイメージからはるかに遠く、その後、結局ゴダールは20年におよぶ歳月を「映 画 史」のために投ずることとなる。第1部がいちおうの完成をみてからもなお、結局第4部完成まで10年を要したことが、このプロジェクトの困難さを如実に物語る。



02. モンタージュ、わがうるわしき心配り

 モントリオール講義で試みられた映画史制作の要点、それは素材となる映画がそこですでに「断片」化されていたこと、そして断片と断片が突き合わされ、「編集」されていたことである。たとえばギャング映画の創始者としてのプレミンジャー、ラングの作品の一部を上映し、続けてそれに《勝手にしやがれ》や《小さな兵隊》の一部を対置させる。むろん1本の映画をまるごと見せるには時間がかかるという事情はあっただろう。しかし重要なのは、このスタイルがゴダールにとって映画的思考のスタイルそのものであるということだ。1本の映画を完結させるのではなく、それに何を対置しうるかを常に考えること。そこにゴダール的「ワン・プラス・ワン」の運動としての映画=思考が始動する。「モンタージュが映画の特殊性を形づくるのであって、これこそが絵画や小説に対して映画を区別するのだ」という、批評家時代以来の彼の確信を、ゴダールは映画の歴史を考える際にも最大のよりどころとする。その結果完成した「映 画 史」全4巻は、映像を断片化し切断すると同時に異なる映像に接続してやまない、モンタージュの嵐が全編吹きすさぶ作品として現われたのである。「モンタージュ、わがうるわしき心くばり」……ゴダールが批評家時代に書いた文章の表題が、「映 画 史」の画面に何度も字幕として登場する。しかもここでモンタージュは、ショットとショットを平坦に結ぶにとどまらず、同一画面のうちに二つの映像がオーヴァーラップして合体したり(仕事場のゴダールの顔にかぶさるニコラス・レイやらフリッツ・ラングやらの顔)、2種類の映像が急激なモンタージュの繰り返しによりちかちかと瞬きながら合体したり(ちょび髭のチャプリンとヒトラーの顔との反復モンタージュ)と、自在なリズムを刻み出すのである。さらにそこにゴダール自身の語り、呟く声、そして出典をとらえるのは困難ながら何らかの映画からもってこられたせりふの数々が流れ込み、混沌としたソニマージュの束が織り上げられていく。
 すでに1956年、批評家ゴダールは「モンタージュは心臓の鼓動である」と書いていた。モントリオールの講義ではこう述べている。「[……]このモンタージュという側面は、ある意味では、あまりおおっぴらにすべきものじゃありません。なぜなら、これはきわめて強力ななにかだからです。事物と事物の間に関係をうち立て、それによって人々に、事物を、状況をはっきりと見させるなにかだからです」。
 編集によって新たな命を吹き込まれた「映 画 史」の音+映像(ソニマージュ)が、われわれにはっきりと見させるものとは何なのか。「あまりおおっぴらにすべきものじゃない」モンタージュの魔力を通じて、いかなる歴史が浮き彫りにされるのか、それを具体的に見る前に、ここで「映 画 史」全体の構成を、ゴダール自身の言葉によって紹介しておくことにしよう。



03.ゴダールによる紹介

──最初から、「映 画 史」全体についてプランをお持ちだったのでしょうか。

 最初からプランはあったし、そのプランは以後一度も変えなかった。つまり8回分の題名のことだけれど、まず最初のエピソード[1A]は「すべての歴史」で、ここでは、映画が直ちにいっさいを奪い取ったということを示すことになるとわかっていた、次に私は、映画のやり方がまったく孤独なものだったことを示した。それが[1B]「単独の歴史」と名づけたエピソード。次に[2A]「ただ映画だけが」がくる。これは実際のところ映画だけがそれを、つまり歴史を撮影するということを本当にやったんだと示すものだ。それもさまざまなちっぽけな物語、ちっぽけなミュージカル、ギャグ等々、1920年代にはもう誰からも最低と思われていた馬鹿げた代物を撮るのと同時にだ。
 そのあとで、私は映画とは男が女を撮るということだったんだと示したい。そこには何かきわめて宿命的なものがある。それは美の歴史であり、絵画や文学でもそれは男ではなく、決まって女に結びつけられてきた。それがつまり[2B]「宿命的な美」だ。その次が、マルロー[の美術論の題名]に由来する[3A]「絶対の貨幣」。つまり一種絶対なるものがあり、それに対してお返しをしなければならない。金を払わなければならないわけだ。その次は、これまたマルローの影響によるもので、[3B]「闇の返答」。というのも映画は暗闇からくるものだから。そして[4A]「世界のコントロール」。これは経済的権力に結びついた側面(とはいえ別のやり方で扱われているが)。最後は[4B]「われらのあいだの記号」だ。映画は一つの記号であり、映画に属する記号がわれわれのうちにある。映画だけがわれわれに合図を送ってくれた[=記号を作ってくれた]のだ。そのほかはみな、命令にすぎない。映画は解釈すべき、演じるべき記号であり、映画とともに生きなければならないのだ。

 補足すると、97年のインタヴュー後、さらに作業が進行したのだろう、その結果、「闇の返答」なる章の題に「新しい波(ユヌ・ヴァーグ・ヌーヴェル)[=曖昧な知らせ]」という題が取って代わり、アンリ・ラングロワ、アンドレ・バザンらの映像とともに、ヌーヴェル・ヴァーグの世代をめぐる考察が展開されることとなった。



04. 過剰な情報

 全4章=4楽章からなるシンフォニー? AB面からなるレコード4枚組? 「映 画 史」はまず、そうした音楽的印象を観る者=聴く者にもたらすはずだ。画面では、仕事部屋の机に向かうゴダールその人が電動タイプライターを叩いている。プリンターの発するパーカッシブな音。タッタカタ、タッタカタと刻まれるその三連のロールにのって、のっけからおびただしい種類の映像が次々にあふれだし、われわれに狂おしい思いをかきたてる。最初のクローズアップはヒッチコック《裏窓》のジェームズ・スチュワートだ。望遠鏡をのぞきこむ例の表情にスローモーションがほどこされ、彼の目の動きが意表をつくなまなましさで強調される。映画を支える「瞳」の主題がみごとに抽出される一瞬である。だが、「いずれの眼も/自らのために交渉すべし」という謎めいた字幕とともに繰り出される「瞳」の映像の出典を、これはオーソン・ウェルズの《アーカディン/秘密調査報告者》のワンシーン、これはエイゼンシュテインの《ベージン草原》などと逐一特定できる観客など、めったにいるはずはない。しかもそれがほんの数秒のうちに目の前を通過していくのだ。タッタカタ、タッタカタとせき立てられながら、われわれは過剰な情報に自分が適応できていないという焦燥感を覚えずにいられない。しかも映像のみでなく、音、字幕を通して言葉もまた降り注ぎつづける。「映画は置き換える/われわえのまなざしに/一つの世界を/その世界は一致する/われわれの欲望に」──以前からゴダールが好んで引くアンドレ・バザンの言葉──とシンクロして、ミネリ《バンド・ワゴン》、ルノワール《ゲームの規則》、溝口《近松物語》、ラング《無頼の谷》の短い引用が重ねられ、そこにゴダールの声が響く──「映画の歴史/複数形のsつきの」。そして書棚を背にしたゴダールの顔に、ロートン《狩人の夜》の少女とおぼしき人物の顔が、さらにはヒッチコック《北北西に進路を取れ》のワン・シーンがオーヴァーラップしてくるといった具合。……ここまでで、映画が始まってまだ3分もたっていないのである。
 映画的教養をひけらかすゴダールのペダントリーに嫌気がさすと同時に、引用の「意味」がぴんとこないことに苛立って、はやばやと「映 画 史」に背を向けてしまう観客も当然出ることだろう。だが、《勝手にしやがれ》から《新ドイツ零年》や《ゴダールの決別》にいたる作品群で、セルジュ・ダネーのいわゆる「ゴダール的教育法」を長らく体験してきた観客にとって、これがとりわけ過酷な試練であるとは思えない。むしろ最初のショックをゴダールならではの刺激的異化作用として甘受するならば、以後これが、意外に単純で正統的な思考につらぬかれた作品である事実が明らかになってくるにちがいない。


05. 古典的モンタージュの擁護と顕揚

 まず第一に、ソニマージュの作り自体が、最初の幻惑をすぎてしまうといかにも古典的な意味で「映画的」なものであることがわかってくる。いまから10年前、第1部のみが完成して先にテレビで放映された当時は、ゴダールの手法を「サンプリング」や「リミックス」といった音楽の前線と結び付ける解説がよく見られた。しかし結局ここにあるのは、エイゼンシュテイン的「モンタージュ」を徹底し全面化した成果なのだ。冒頭、先ほどの流れに続く、保守派政治家の顔とふくろうのアップとを交互に見せるエイゼンシュテイン《ストライキ》からの引用が、ゴダール「映 画 史」の単純しごくな戦術を定義づける。すなわち「映 画 史」とは、モンタージュがさらにモンタージュされる場なのである。モンタージュを何乗にも掛け合わせ、切り貼りすべきものとしての「フィルム」の特質を極限にまで引き出すこと。同時に、音はせりふとして映像に同調するのではなく、それ自体独自のセリーを形づくりながら映像と混ざり合う。エイゼンシュテインらロシアの前衛的監督たちが、トーキーによる映画の「演劇」化に異議を唱え、別の音響システムの構築をめざす宣言を出したのが1928年。「映 画 史」はそのヴィジョンを改めて壮大に現実化してみせたのだ。
 壮大に、しかしまた手仕事的性格を濃厚に残しつつ。進行役然と登場するゴダールを取り巻く機材は、第1部完成当事でさえ、決して最先端のハイテクではなかったとおぼしい。「技術的にはマニュアルで、ごくごく単純なもの」とゴダール自身述べているとおり、CG合成による「編集」に日常慣らされている今日の観客は、「映 画 史」の画像にむしろアナログ的素朴さを覚えることだろう。これがヴィデオ作品として成立したのは、単にある映画のショットと別の映画のショットをつないだり、オーヴァーラップさせたり消したりといった操作を行なうのに手軽で便利だったからだとゴダールは語っている。ヴィデオはあくまで映画に奉仕する、そしていまやフィルム同様テクノロジー的には退潮の時を迎えつつある道具にすぎない。だが、そうした技術的「古さ」──音の加工もまた、昔のコメディ番組のごときエコーのかけ方など、ときとして笑いを誘うほど直截で正直だ──に、「映 画 史」の重要な核心がひそんでいる。



06. 引用の体系

 そして第二に、内容に関して言えば、個々の引用の出典、アイデンティティはじきに気にならなくなる(何しろ気にしていたところで仕方がないのである)。逆に、引用を支える「体系」、その骨格は明確に示される。各章のタイトルをはじめとして、キャプションがたえず道標として現われ、「映 画 史」を読むためのいくつもの入り口をわれわれに提供するのだ。
 たとえば大プロデューサー「アーヴィング・サルバーグ」の名前、その肖像とともに「映 画 史」はどんな流れを示すか。《グリード》《肉体と悪魔》《オペラは踊る》といった作品のスチールとともに「最後のタイクーン」、「毎日52本の映画の構想を練った唯一の男」、「しかも世界最高の/美女の一人と/結婚した人物」が導入される。「これぞ/ハリウッドの権力」とゴダールの声。画面には「A FILM IS A GIRL AND A GUN」の字幕。「バビロンの権力」の声、画面は《イントレランス》の古代バビロニアのセット。そこに「世界を/ニッケル硬貨一枚で」(5セントは大衆映画館(ニッケルオデオン)の料金)の字幕。そして「夢の工場/そんな工場がいろいろと/コミュニズム」というゴダールの声。すると画面にはレーニンのデスマスクを記録したフィルムが……。ハリウッドと共産主義が一閃のうちに接続され、スペクタクル産出の工場をひたすら拡張させたアメリカと、「映画は最も重要な芸術」との認識のもと、映画を徹底的にプロパガンダの具として用いたソ連とが結ばれる。「フィクション/対現実」。20世紀的大衆操作のシステムとしての映画、権力と合体した装置としての映画。ヒトラー、ナチスの記録映像を経て、画面には20世紀フォックスのロゴマークが現われる。夜空にクロスするサーチライトの光で社名が照らし出された例の紋様、ただしその上に「戦争は/そこだ」の字幕がかぶせられ、このロゴがはしなくも示す映画と戦争の本質的絆が浮き彫りになる。こうして、ハリウッドの一プロデューサーの写真から、映画会社のロゴにたどりつくまでのわずか数分間の連鎖が、たとえばポール・ヴィリリオの名著『戦争と映画』をそっくり含むような思考の可能性を提示しているのである。
 こうして、映画史は言うまでもなく歴史──ゴダールが信じると公言する大文字の歴史──そのものとたえず混じり合い、支え合う。その様が整序的に記述されるわけではない。濃密なテーマ系が、いわば刻々と更新されていくのである。それがいかにも混乱して感じられるのは、凝縮度のあまりの高さゆえだろう。しかしゴダールは決して問題を投げつけたまま先を急ぐのみではない。たとえばこの[1A]のパッセージに現われた「女と銃」のテーマは、[2A]「宿命的な美」では映画と性差に関するパッセージへと受け継がれるだろうし、「夢の工場」がいかにして「世界をコントロール」しえたのかは、ヒッチコックの名場面集を形づくる[4A]のパッセージが明らかにする。そしてもちろん、映画と戦争をめぐるモンタージュは、映画と死、そして再生をめぐる引用の系列を随所でたぐり寄せ、「映 画 史」の根幹をなす運動を組織していくだろう。

 

07. 死体と裸体

 その成り立ちから、「映 画 史」は無数の注釈へと開かれているし、事実注釈の試みはすでに始まっている。ここではゴダールの歴史観を整合的に取り出すことを試みるよりも、画面そのものにみなぎる衝撃的な力のほうへとさらに接近してみたい。すると全4巻を通してたえずわれわれの瞳を脅かす存在として、「死体」と「裸体」が浮かび上がってくる。
 作品名や俳優名は特定できずとも、明らかにまっとうな「劇映画」であると判断される映像に入り交じり、引用と引用の間隙を衝いて出現するあられもない裸の人間たち。痴態を繰り広げる男女、あるいは発情した犬に後ろからのしかかられる娘の映像などが突然インサートされるのは、それ自体きわめてショッキングで、しかもその画像がアンダーグラウンドなポルノグラフィなのか、それとも何らかの劇映画の一部なのかについて決め手を欠いたまま、われわれは実に居心地の悪い思いを味わう。猥褻さというよりも、裸像のあくまで唐突なリアリティが厄介なのである。ゴダール自身が[2b]ではなぜか上半身裸になって登場するのも、あるいはこうした、身体を裸に剥く映画の権能を暗示する事態なのかもしれない。
 しかもヌード映像にいつ不意を襲われるかわからないというおびえに加えて、われわれは別種の裸体、すなわち死体と遭遇する恐怖にも全巻を通し晒されつづけるのだ。ナチスによる強制収容所の記録フィルムにちがいない、無残に痩せ衰えた人間たちの亡骸──あるいは死にかけた身体?──を写した映像が、映画史全体に取りついて離れぬ悪夢として幾度となく短く挿入される。そのとき、強制収容所の残虐非道という以上に、なぜこうした状況を作り出しておいて、しかも人はそれを撮影しえたのかという思いが観る者の胸を圧しつぶす。
 だがゴダールはそのうえなおも恐ろしい。「映 画 史」後半のある箇所において、観客はまさに目を疑うようなモンタージュを突きつけられる。舌を巻いて、激しく官能の営みに浸る女を至近距離から、汗のしたたりもなまなましくとらえた淫らなカラー映像。続いてあたかもそれを眺めて大喜びしているかのごとく、《怪物団》(アーヴィング・タルバーグ製作、トッド・ブラウニング監督、1932)の小頭症の男とおぼしき怪人物がニタリと笑う顔。次の瞬間、ふたたび裸体。だが目を凝らすとそれは、断末魔の表情を凍りつかせた死体が、やはりナチスの収容所においてか、何者かの手で引きずられていくところなのである。むきだしのエロスからむきだしの死への墜落。快楽に喘ぐ裸体に、暴力にさいなまれた死体が加算されるや、両者の差異が一瞬、確実に揺らぐ。無辜の犠牲者の死体とポルノグラフィックな裸体とを混同してしまうのだ。その事実はわれわれを深くうろたえさせる。映画的イマージュの容赦ない愚鈍さというか、救いがたい再現性がこれほど如実に感じられる瞬間はない。映画は何もかもを等し並みに記録し、保存してしまった。フィルムは歴史のあらゆる局面に寄り添い、人間のあらゆる営みに張りついて、生と死の時をその表層につぶさに写し取った。20世紀の一切は途切れないフィルムの運動のうちに流れ込んだのであり、それがゴダールの指し示す「映画」の総体なのである。



08. 映画の信仰

 だが驚くべきは、「裸体」の行き着く果てとしての「死体」映像の系列を通してこそ、われわれはゴダールの、映画に対する「信仰」に触れるということだ。第1部の出だしから、ナレーションの声がその一点を示唆しつづけているのである。いわく、「映画によって/死はわれわれに約束した」(1a)、「たとえ死ぬほど傷つけられても/35ミリの単純な長方形は/あらゆる現実の名誉を救った」(1a、死体の映像にかぶせられた台詞)、哀れな映画/ニュース映画こそが/血と涙にまつわる/あらゆる嫌疑を洗い流す/もう遅すぎる時になってから/軍隊が群衆に発砲したあとで/舗道を洗うように」(1a)、「殉教と復活/ドキュメンタリーの/何たる不思議か/見えないものを観られるとは/何という甘美な奇跡よ/われらが盲目の瞳の……」(1a)。
 そもそも冒頭で「映画の歴史」は、「歴史のアクチュアリティ/アクチュアリティ[=ニュース映画]の歴史」と言い換えられて、映画に固有のドキュメンタルな側面の重要さが強調されていた。キャメラがとらえた画像は、それが原理的にわれわれの想像力とは無縁の、実在する他者の映像であるがゆえにこそ絶対の意義をもつ。フィルムは常に「過去(パッセ)/つまりいまおこりつつある(パッス)こと」(3a)が現前する場なのであり、それが映画にしか求めえない特異性なのだ。[3a]でゴダールの声は語る、ソドムとゴモラを振り返った旧約の民は、その場で塩の像に変えられた。だが「塩化銀」の実験から始まった映画は、われわれが幾度でも振り返ることを可能にすると。あるいはまた彼は言う、映画だけがオルフェウスに、エウリュディケを死に至らしめることなく振り返ることを可能にすると(2a)。あるいはそれに、「見出されたとき/映画だけ/ただ映画のみが/神秘(ミステール)」、「芸術でも、技術でさえもない/神秘」(2b)といった字幕を重ねて考えてもいい。絵画のごとく芸術として定義するには、映画はあまりに技術の所産でありすぎる。しかも単なる技術と割り切るには、あまりにそれは「存在」を、「時間」をまざまざと生け捕りにしすぎている……。映画の機械的記録性(「コピーでさえない/再生」、2a)にゴダールが、彼の言う「神秘」の淵源を見ようとしていることは疑いない。彼はそこに映画史の真の可能性を見ようとするのだ──「生者たちに抗して死者たちを守ること」(反復されるフォークナーの言葉)、死者が復活するためのよすがとなること。それこそは「映画だけが」負いうる使命なのである……。
 ここでわれわれは、先に触れた「映 画 史」の手仕事的「古さ」の意義をもう一度かみしめるべきだろう。ジャック・オーモンは「映 画 史」を解説して概略次のように言う、引用から成り立っている「映 画 史」は、そもそも映画が他に類のない「引用」の手段、現実をそのまま引用する手段であり、「引用されたものの他者性を尊重する」システムであるという事実の上に立脚している。だからゴダール自身、引用する映画に──アナログ的編集の手は加えても──CG合成的な加工を施すことは決して行っていないのだと。あらゆるフィルムには、かつて他者によって生きられた「いま/ここ」の一瞬が決定的に刻印されている。だからこそ映画は常に「復活」の儀式を含むはずなのだ。



09. 聖パウロのほうへ

 映画的イマージュの事実性と(一種の)不滅性に対するそうした思いに、聖パウロの言葉を重ねてみせるとき、ゴダールの映画史はにわかに強烈なカトリシズムを放ちはじめる。何しろ[1b]では、「復活のときにイマージュが到来するだろう」という聖パウロの言葉が画面一杯に字幕で示され、それに続いて「苦しんではいけない、わたしたちは皆いまだここにいる」(1b)という『使徒行伝』(16.28)に見える聖パウロの言葉がやはり字幕に映し出されるのだ。ゴダールはここで聖書の文脈から言葉を自由にふくらませ、「わたしたち」に双方向性をもたせているように思える。「わたしたち」とはいま映画を、「映 画 史」を観るわたしたちであり、観るというその行為によってまさに、いまは亡き者たちを瞬時蘇らせている者たちのことである。だがまた「わたしたち」とは死者たちでもあるだろう。死者たちはフィルムの向こうから観客に対し、その変わらぬ現前をアピールしつづけるのだから。これが映画、そして「映 画 史」を支える「聖受難劇(ミステール)」の構造である。
 こうした、キリスト教的肉体の復活劇と映画とを結び合わせようとする姿勢は、近年ゴダールがとみに顕示しはじめていたものである。何しろ《ヌーヴェルヴァーグ》(1990)、《ゴダールの決別》(1992)という2本の映画は、まさに消失と復活を軸とするドラマだったのだ。そしてまた10年前、「映 画 史」第1部がほぼ完成したころのインタヴューで彼は次のように語っていた。
 「私はクリスチャンではありません。しかし聖パウロの中に、復活のときに映像(イマージュ)が現われると書かれているのを読んだりすると……、そう、30年も編集をやっていると、私も理解し始めたのです。私にしてみれば、編集とは人生の復活なのです)。
 人生の復活、そして映画の復活。「映 画 史」はその実現を本気で試みる物狂おしい企図なのであり、だからこそ画面には死の原理に抗うモンタージュの力が炸裂する。軍服の男が捕虜の首に縄をかけ、まさに絶命させんとする場面の記録フィルム(1b)。われわれが思わず息を呑むその瞬間、歌い踊る男女の映像がモンタージュされる。ジーン・ケリーとレスリー・キャロン、二人が歓喜に満ちた身体を思うがままに解き放つダンス・シーンだ。だがもう一度、処刑シーンの映像が現われて《パリのアメリカ人》を寸断する。二つの映像のあいだで引き裂かれながら、われわれは身悶えし、モンタージュの残酷なる力を味わい尽くす。首に縄を巻かれて、おそらくはまもなく絶命したにちがいない男の、白黒の──喪の色の──身体と、ジーン・ケリーの喜びの──テクニカラーの──身体。両者を唐突につなぎ、合体させようとするその瞬間を、われわれは聖パウロ的「イマージュ」の顕現として受け止めなければならないのか? それともここには「あまりおおっぴらにすべきものじゃない」モンタージュの邪悪さが突出しているのか? だが、いかなる共通項ももたないこれらの二つの身体を結び合わせる線上に、不意に現われる不可視の身体、それがおそらくは「20世紀史」の一つの極点を指し示している。映画の世紀としての20世紀が、そこにある決定的な「イマージュ」となって突出しているのだ。



10. 複数の映画史へ

 とはいえ、最後に指摘しておかなければならないのは、こうしたゴダール「映 画 史」の強烈な迫力、凄みというもの、そしてそれを支えるイマージュ哲学は、普遍的な「歴史」のありかを探る指向性をもつとはいえ、同時にまた実のところきわめて西欧的、キリスト教的、フランス的な特異さを剥き出しにしたものでもあるということだ。引用される映画の大部分はアメリカおよびヨーロッパの、要するに「白人」の映画である。しかもそのほとんどすべてはヌーヴェル・ヴァーグ勃興期くらいまでの映画であり、70年代以降の作品は(ゴダールの自作をのぞけば)まず登場しない。ラング、ルノワール、ブレッソン、ロッセリーニ、《狩人の夜》《めまい》……引用されるフィルムの大半が、実際のところ映画監督となる以前にゴダールが出会い、熱愛し、論じもした作品であり、「映 画 史」が徹底して過去を向いた、しかもゴダール自身の過去へと遡及する性格のものであることは明らかなのである。かつて自らが摂取し、自らの身体の一部と化した映画の集積、それをゴダールは文字どおり身体を晒しつつ提示している。
 それゆえここに、ヌーヴェル・ヴァーグの最後の抵抗、最後の戦いを見て取りたくもなるのだ。そのうえで興味深いのは、上に見たイマージュの(聖パウロ的?)概念が、ヌーヴェル・ヴァーグの精神的父親と言われた映画批評家、アンドレ・バザンのそれに直結するものだという事実である。
 バザンは第二次世界大戦後、オーソン・ウェルズ《市民ケーン》とロッセリーニ作品とを同時に絶賛し、慣習的モンタージュの文法に頼らない「長まわし」のリアリズムをそれらに見て取って、映画の新しい可能性としてこれを称揚した。ロメール、リヴェットらがその説を教義のごとく信奉したのに対し、ゴダールは同じ『カイエ』派ながらあえて古典的モンタージュを擁護するというへそ曲がりぶりを示し、そこに独自の映画話法の根拠を置いたという見方が定説になっている。
 だが、バザンの映画論の中核をなすのは、「長まわし」対「モンタージュ」の二項対立を超えた、イマージュの思考だった。「写真的イマージュの存在論」において彼は、ほかのいかなるイマージュとも異なる写真映像の、現実そのものの痕跡としての特異性を強調し、そこに映画の立脚点を求めたのである。対象の存在にもっぱら依存する、「人の手で作られたものでない(アケイロポイエトス)」写真映像の性格。それを「聖骸布」の譬えで表現したとき、バザンは戦後フランスにおける映画愛、映画信仰の根拠を確立したのだった。
 「長まわし」の絶対視を揶揄しながら、批評家時代のゴダールはこうしたバザン的イマージュの存在論に対して懐疑を示したことはない。そして「映 画 史」の根本がまさに、「聖骸布」としての映像のモンタージュにあることはすでに見たとおりだ。バザンから半世紀後、「映 画 史」のゴダールはその原点に戻りつつ、ヌーヴェル・ヴァーグ的映画観をいわば統合したのである。
 しかもゴダールは、その営為が今日ほとんど黄昏の光に照らされた営みでしかありえないと、強く意識もしているのだ──「それはTVとコンピュータのせいだ」、「問題は、バザンやわたしたちの頃には実在していたこの存在論が、もはや今日にはないということだ」。存在論が後退し、「情報処理理論から生まれるもの」がわれわれを幾重にも取り囲み、侵食するなかにあって、ゴダールは自らのフィルムがあえて言えばいかに反動的であり、フランス=カトリック的伝統に直結した、「地方主義(レジオナリスム)」の色濃いものかを重々承知している。しかもなおそこに、CG、コンピュータ万能主義に対する抵抗の根拠を求めたのである。これをしもヌーヴェル・ヴァーグ最後の戦いと言いたくなるゆえんだ。
 したがって逆にわれわれは、ゴダールの作品を一個の閉じた、完結した「映画史」として受け止める必要など毛頭ない。それどころか、一つのイマージュに別のイマージュを対置し、一本の映画に別の映画を対置するというゴダール流思考にならい、ここに提示された「地方色」豊かな映画史に、何を対置すべきなのかを考えなければならないだろう。たとえばゴダールにおける日本の、アジアの映画の欠如をどう補うべきか。あるいは、70年代以降の作品をそこにいかに対置させうるのか。さらには、コンピュータ画像と映画的イマージュとのあいだに、別の関係はありえないのか。
 ゴダールの「映 画 史」はまさしくその一徹さゆえに、そうした問題提起を誘わずにはいない。Histoire(s)のカッコ入り複数形はそんな事態をあらかじめ暗示しているのである。ゴダールにくみして、あるいは反対して、ありうべき映画史を考えること。そのためにこそ、われわれは「映 画 史」を体験しなければならないのだ。


*InterCommunication<季刊 インターコミュニケーション>no.32, Spring 2000(書店発売中、1400円)より、著者の了解を得て、全10章を転載。

イントロダクション
ゴダールの「映 画 史」出発から完成まで
第1〜4章(1A〜2B)  第5〜8章(3A〜4B)
「映 画 史」をめぐって(野崎 歓) 全文


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