陽はまた昇る

「陽はまた昇る」は、一見サラリーマンのサクセスストーリーとして語られることが多いが、さらに本質的な主題が隠れており、それこそが、この作品の魅力であると考える。その主題とは、「人間の心が揺れ動くさま」である。この心の揺れを、こんなにも繊細に描写することに成功したサラリーマン映画はほかにないだろう。監督をつとめた佐々部清の腕はもちろんであるが、出演者の西田敏行と渡辺謙の名演技のおかげであろう。

舞台は、高度経済成長期の終盤の70年代の日本。
当時、ビデオ事業は当たると大儲けできるとされていた。そこで起きた争いが、家庭用VTR(ビデオ・テープ・レコーダー)の規格争いであった。日本の家電メーカーであるビクターが開発したVHSというVTRと、ソニーが開発したVTRベータマックスが激しく戦ったのであった。

実は、技術的に優位に立っていたのはソニーのVTRベータマックスであった。よって、はじめは、ソニーのVTRベータマックスが、主な規格として採用されていた。しかし、ビクターの熱い男たちの努力により、ビクター開発のVHSが、逆転勝利し、採用されるに至ったのだ。この逆転勝利劇が、「陽はまた昇る」のストーリーだ。

もちろん、この映画は、見事なまでの逆転勝利が主な内容であるため、サラリーマンのサクセスストーリーとしても十分な見応えがある。 しかし、VHSを作り上げた男たちの人間描写こそが最も見応えがある部分であろう。

西田敏行演じる主人公・加賀谷静男は、ビクター社のサラリーマンであり、定年直前に、ビデオ事業部の部長就任を命じられる。当時のビクター社のビデオ事業部は、まさに沈没船のような状況であった。そこに、ビクター社のエリート街道まっしぐらの渡辺謙演じる大久保修も次長として参画する。加賀谷が、ビデオ事業部の部長として命じられた仕事は大規模なリストラへの着手。しかし、加賀谷は、新しい家庭用VTRを開発することを胸に誓い、本社の意向を無視し続けた。それどころか、家庭用VTRの開発をしたいと従業員に宣言し、誰一人としてリストラをしないために奮闘した。しかし、出世を希望する大久保にとって、本社の意向を無視する加賀谷は目の敵であった。はじめこそは、加賀谷と大久保は対峙していたものの、加賀谷のどんな人間に対しても敬意を払う様子に、心を打たれ、次第に二人の距離は近くなる。

努力によって、ゆっくりではありながらも確実に人間の心が開かれていく様は、涙なしには見ることはできないであろう。西田敏行演じる加賀谷の、家族のように温かく頼りがいのある上司の姿は、まさにサラリーマンの鏡。加賀谷の温かい人間描写が、現代社会の疲れ切った大人の心に染み渡るのである。

特に悲しい出来事が起こる映画ではない。しかし、映画の最初から最後まで感動により涙が溢れてしまう、そんな映画なのである。よって、映画を見終えたころには、心が浄化され、勇気が沸き、明日を生きる自信を得ることができるであろう。 近頃、仕事などで心が忙殺されてしまっているサラリーマンに、是非とも見ていただきたい傑作である。