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フォーエヴァー・モーツアルト
ゴダール ええ、この会場にそれを考えながら来たのだけれども、思い出せません。とにかく、私の他の映画よりもずいぶん前から考えていたように思います。「フォーエヴァー・モーツアルト」というタイトルを思いついたのがいつだったか・・・。ドイツのECMレコードとの企画があって、キース・ジャレットやアルヴォ・ペルトなどを出している会社ですが、私はモーツアルトについて、モーツアルトに関する映画を一本作りたいと思っていて、それを自分では「フォーエヴァー・モーツアルト」と呼んでいた。けれども、どんなテーマで、どんなストーリーだったがが思い出せない。確かアメリカ人の男の話で、昔自分がいたドイツに戻ってくるという話だったが・・・。そうでした、ノルマンディー上陸記念の折の企画でした。そのアメリカ人はシュトゥットガルトあたりの街まで旅をする。つまり、昔自分が生きていたドイツでアメリカ人が占領した街、自分がかつて生きた街をもう一度見たいと思ったのです。そう、今思い出しました。ストーリーがありましたよ。彼はかつて自分が暮らしていたところを発見する。すると、いろんな真実がわかる、いや真実かどうかはとにかく、自分の街に戻ったこのアメリカ人というのは、実は1945年にウィーンで酔っ払ってアントン・ウェーベルンを殺害した男だったのです。それ以上のことは今思い出せないけれども、私はその企画を「フォーエヴァー・モーツアルト」と呼んでいました。というのも、その男はモーツアルトの曲が演奏される会場である批評家に正体を見破られるからで、そんな風なタイトルだったわけです。
 そういう映画だったけれども、この企画はもちろん流れてしまいました。で、その後私は、一人の友人、パウロ・ブランコ――マノエル・デ・オリヴェイラのすべての映画をプロデュースしている男ですが――と組む別な企画を考えました。パウロ・ブランコは私に「ポルトガルで映画を作ってほしい。できれは制作資金はまったくなしで」と提案しました。で、私が彼に提案したのは、『クリストファー・コロンブスの帰還』という題の映画でした。私は“簡単だよ。一艘の船が着く。その船には品物が満載されている。港いっぱいを使い、3〜4kmの移動で撮るだけ”と言ったのですが、それだけで彼は非常に不安になった。3〜4kmの移動撮影のせいで。単に『クリストファー・コロンブスの帰還』という題名で非常に単純に、さまざまな手を示し、コロンブスがアメリカに行ってから今日に至るまでにもたらし来った品物をすべて示していくわけです。Tシャツとか、マクドナルドとか、キャデラックとか。しかしそれが予算的にパウロの手には負えなかった。別な企画を考えることになりました。その間私も読んだ本があり本屋で読み直した本があったので、まあ、読み直すといってもフランス語で拾い読みという程度ですが、フェルナンド・ペソアの《不穏の書、断章》(澤田直訳、思潮社刊)を読んでいました。私はパウロに『不穏の映画』という題名の映画を作ろうと言いました。映画的な創造の基本を描写する。つまり、それは撮影とかではなく、映画の創造の最初にあった行動を描く。基本的な行動や振る舞いを提示するのだ、武勲詩と同じだ、と。私はそういったテーマで脚本を書きました。それが『不穏の映画』という題名だった映画です。でも私の頭からは例のモーツアルトのアイデアが離れませんでした。そんな時に製作援助前払金が奇跡のように入ることになったのです。ところが、私がそれまでに書いた部分で準備を進めたが、それはこの映画の第3章でご覧になるように、進めば進むほどうまくいかなくて、たかだか20分から25分くらいの長さにしかならないとわかってきたので、私はその企画を断念しました。これはだめだと思い、映画全体の準備をそこでストップしました。全部を一年後に再開ということにして。
 ところがその後、フィリップ・ソレルスがル・モンド紙に書いたマリヴォーについての一文を読みました。《深遠なマリヴォー》と題する文章でしたが、彼はマリヴォーについて語りながら、私が映画批評家時代に知っていたアメリカの作家スーザン・ソンタグ――彼女は写真についてのすばらしい本を書いていました――がサラエヴォでベケットを上演したことにふれて、ソレルスは皮肉っぽく、“これはいけない、彼らはすでに十分悲惨なのだ、サラエヴォでベケットはない、マリヴォーを上演すべきなのだ”と書いていました。私は『サラエヴォでの愛と偶然の戯れ』という題の映画を思いつき、本屋に行ってマリヴォーを買おうとしたのですが、私が住んでいるスイス・ロマンドのロールの本屋に、マリヴォーの本はもちろんなく、ミュッセの《戯れに恋はすまじ》がありました。そこから私の映画は『サラエヴォで戯れに恋はすまじ』になり、私はその方がよいと思いました。二、三人の若者がサラエヴォでこの戯曲を上演するために出発する、ということを想像したのです。彼らはサラエヴォに行く途中でいろんな冒険をへて、サラエヴォに着く前に捕まり捕虜になる。彼らはサラエヴォには行き着かない。これを私は書きました。これからご覧になる映画の2番目の部分がそれです。私はこの部分だけで一つの長篇になるかと思いましたが、実際にはそれもやはり20分から25分にしかならない。それまでにカナル・プリュスと交わしていた契約は1時間20分以上の映画でした。というわけで、二つの部分を足して、さらに、今皆さんに話しているように、全体に対する小さなイントロダクションを作ってみよう、そして小さな結部も作ってみよう、それで全体ができるだろう、と思いました。結部は、それはモーツアルトであろうと思いました。なぜかというと、冒険とはロマンであり、モラルであり、哲学です。私はかつて学生時代に哲学を勉強した時に、テーマとは無限にあるものではないことを知りました。モラルがあり、真理があり、形而上学があり、論理がある、というわけで、これが映画の第2章になり、3番目は映画、そして4番目が音楽。1番目が欠けている。それは演劇だ。登場人物たちは戯曲を上演しに行くのだから、それで始めることができる。そのすべてに一貫性をもたせるために誰か一人の人物が必要だ。それが、若い女性カミーユの父である映画監督だということが、映画をご覧になればおわかりになります。彼によって一貫性が生まれ、映画の四つの部分がつながっていくわけです。こんなことを考えるのに3年、いや、完成まで4年かかりました。


  ゴダール 映画は私にはとても自然なものでした。よく言われるのが、映画とはほかの芸術の混合物ということです、7番目の芸術だと。だからすべてがあるのです。映画は非常に現実に結びついています。現実と結びついていることによって、書店にあるようなさまざまな本にも結びついている。映画は絵画にも結びついていて、絵画は自然やほかのものを表している。だから少しずつすべてがあるのです。私はいくつか小説を読んでいるにすぎず、幾分か音楽を聴いているにすぎません。私はベートーヴェンの音符を3つ聴いたら、私はベートーヴェンを知っていると敢えて言います。私はそのベートーヴェンを知っている、その3つの音符について。


  ゴダール よく使いますよ。


  ゴダール いや違います。この映画の構成では戦争が冒頭に、演劇的な方法できています。映画監督がいて、彼はサラエヴォにミュッセを上演しに行こうとしている娘の父親であり、娘は従弟のジェロームに一緒に行こうと誘い、彼の助けを得て上演しようとしている。監督が冒頭で上演しようとしているのは《希望》で、《希望》とはマルローです。たぶんこの監督は若い頃にスペイン戦争に参加していたのでしょう、それ以上の詳しいことはわからないとしても。彼は今、俳優たちのオーディションをして、オーディションのために選んだのは《希望》の一節です。「戦争は単純だ。肉片に鉄片をくらわせることだ」とオーディションの俳優たちに言わせます。実際には俳優たちはすぐに遮られ、「戦争は…」と言ったとたんに「ダメだ」と言われてしまい、ここは私がアイロニーで誇張していますが、まあそんなものです。この映画は演劇から始まるけれども、戦争が演劇化された形であらわれている。
 次いで、戦争そのものではないけれども、戦争のひとつのエピソードないし雰囲気があらわれる。それは私がわからないなりに想像する、こうなったらこうなっていくだろうという風なものですが。次いで、表象がくる。ある瞬間に監督は演劇からの言葉をつぶやく。劇作家ホフマンスタールの言葉で、私が最近ラサールの演出で見た戯曲の一節です。ほら、さっき言った私のベートーヴェンの3つの音符です。人生が困難と知るとき表象はわれわれの慰めとなり、表象とは影でしかないと知るとき人生はわれわれの慰めとなる”、そんな言葉を監督は口にする。これは演劇的な引用であり、言っているのは映画の監督だが、この映画を最初の演劇的な次元に返している。世界があり、世界の表象がある、と哲学者ショーペンハウアーは言った。この映画のヒロインのカミーユは失業中の哲学教師なので哲学的な言葉も多いが、主なもののいくつかはエマニュエル・レヴィナスの、世界と表象に関するものだし、ショーペンハウアーの主著も《世界とその表象》です。
 というわけで私には<戦争>は<演劇>の後に来なければならなかったが、フランス語の軍事用語で、テアトルとは、作戦地域の地域という言葉でもある。表象は後から来るもので、まず世界がある。われらが友シェークスピアも、世界とは広大な演劇だと言っています。


(1996年ヴェネチア映画祭記者会見および、フランスでの公開前の特別試写会での上映前のスピーチと応答より。抄訳構成・柴田 駿)



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