1930年12月3日、医者を父に、文学好きの母のもとにパリで生まれ、レマン湖のスイス側とフランス側で育った。パリでアンリ・ラングロワのシネマテークを知り、トリュフォーやロメール、リヴェットたちと、ラングロワが上映する映画を浴びるように見て、アンドレ・バザンが主宰する<カイエ・デュ・シネマ>誌を拠点に映画評・映画論を書く。すでに、映画について書くことは映画を作るのと同じだった。ハワード・ホークスやヒッチコックらを文学作家や画家と同じように作家として擁護し、作家主義のポリチックを大胆に推進する。当時ビデオなどはもちろんなく、いきなり35ミリや16ミリで制作する短編作品はすでに長編映画と同じ真剣勝負の場で、タブーや約束ごとを破壊するありとあらゆる試みを持ちこんだ。59-60年に、長編第1作「勝手にしやがれ」でデビューし、世界に衝撃を与えた。アンナ・カリーナと結婚。<ヌーヴェル・ヴァーグ>時代の傑作を次々に発表。67年、アンヌ・ヴィアセムスキーと再婚。68年、ラングロワの解任事件、カンヌ映画祭粉砕事件、五月革命を経て<ジガ・ヴェルトフ集団>を結成し、革命映画を制作した。73年にパリを離れ、アンヌ=マリー・ミエヴィルと共に、グルノーブルに<ソンイマージュ>(音響映像)を設立。ビデオをとり入れた新しいイマージュの旅を始める。
79年に発表した「勝手に逃げろ/人生」では商業映画へのゴダールの帰還と騒がれたが、80年代から90年代、スイスに拠点を移し、フィルム作品とビデオ作品とを交互にあるいは同時に作りながら、映像と音の新しい可能性を追究していく冒険は、21世紀を見据えてさらに深くさらに壮大に展開。80年代後半に開始し、98年に、全8章を完成した「映画史」と並行して、35ミリ作品として、「新ドイツ零年」、「JLG/自画像」、「フォーエヴァー・モーツアルト」、「愛の世紀」を発表。 |
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