エレニの旅
地に降る涙のように
テオ・アンゲロプロス
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テオ・アンゲロプロス シャンテ シネほか絶賛上映中!
プロフィール 「エレニの旅」について 来日記者会見 マスタークラス
来日記者会見
2005年1月24日、6年ぶりとなった新作「エレニの旅」とともに来日したテオ・アンゲロプロス監督が、東京の帝国ホテルで来日記者会見を開きました。作品に寄せる思いや撮影時の苦労、そして次回作の構想など、「エレニの旅」について大いに語ってくれた会見の模様をお届けします。
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アンゲロプロス まず、今回の来日にあたり、非常に満足しているということを申し上げたいと思います。ずっと以前からの約束であったかのような気がしています。この会場に、見知った顔を何人も見ることができ、嬉しく思います。今回は次女(カテリナ)と一緒に来ていて、これまで長女(アンナ)と次女は日本に来ましたが、三女(エレニ)はまだ日本に来たことがありません。今回が6度目の来日で、この次7度目に来た時は、三女とともに、そしてまた新作とともに来たいと思います。

「エレニの旅」では音楽が重要な位置を占めていますが、今回が三部作の第一作であるとすれば、これからの二作でも音楽が重要な役割を果たしていくのでしょうか?

 まだ、わかりません(笑)。来日して3日間、時差のせいで眠れないでいるのですが、眠りを呼ぼうとすると眠りはやってこないで、かわりに様々な文章がやって来ます。次に撮る作品の台詞たちが訪れてくるのです。でも音楽はまだきてくれません。音楽についてはもう少し時間がたたないとお話しできません。おそらく、中心人物は音楽家になるでしょう。
またとても長い映画になるでしょうね(笑)。ギリシャで始まり、タシケントのウズベキスタン、シベリア、ハンガリアとオーストリアの国境、イタリア、そしてニューヨークと移っていきます。ベルリンを言い忘れました。ベルリンが重要な場としてストーリーが展開します。3つの大陸、7カ国にまたがる映画です。長いオデュッセイアになります。旅ですね。私は旅をすると、いつも多大な喜びを得ますから、次回作の旅も私に多くの喜びをもたらしてくれると期待をしています。二十世紀の証言という点で「エレニの旅」を引き継いでいく映画です。二十世紀から二十一世紀への変わり目の2日前から始まり、時間的に遡って1953年に戻り、そこから二十一世紀にむかった二十世紀を描く。大きな叙事詩であり、「エレニの旅」に続く第二部として二十世紀の証言となるでしょう。そして第三部で、いま現在を扱う。タイトルは『今日か明日か』。第二部のタイトルは『第三の翼』となるでしょう。

いまの絶望的な時代に、あのようなすばらしい映画を見ることができて大変嬉しく思っています。撮影に2年かかったそうですが、初めから2年の予定だったのでしょうか? それとも色々なことがあってやむを得ず2年となったのでしょうか。2年間というのは大変なことだと思います。その持続力の秘訣を教えてください。

 なぜ2年かかったか、それは実際的な理由です。冒頭の村が出てきますが、あの村は全て建造しました。湖の底に村を作ったのです。その湖は人造湖で、冬の3ヶ月間は水がありません。そこに村を作ってはじまりの部分を撮影し、その後洪水が来るのを待って、後半のシーンを撮影しました。最後の場面の廃虚と壊れた村という災厄を撮るために、自然の業を待たなければならなかったのです。そのために2年かかりました。私たちは自らの手では何も壊していません。自然に村が破壊されるのを待ったのです。
 持続力という質問ですが、時とともに、私にとって映画は映画ではなくなっていました。映画は私の人生になったのです。先日、イタリアでトニーノ・グエッラの為にパーティが開かれ、そこではイタリアの映画作家が全員集まっていました。病身のアントニオーニやロージー、タヴィアーニ兄弟も来ていました。タヴィアーニ兄弟が私に「テオ、まだ映画を続けているのか?(笑)」と聞きました。そこで私は、こう答えました。「美しい女性が遠ざかっていくのを撮影し続けていく瞬間が大切なんだ」と。美しい女性とは私にとっては映画なのです。映画は私の人生ですから、映画を撮ることをやめる時は死ぬ時です。映画をやめたら私は死んでしまいます。これは本当に、真面目に言っています。

この映画は水から始まり、様々な水の事件があり、そして水で終わります。監督にとって、水にはどんな意味がありますか?

 私が生まれたギリシャは水に囲まれた国です。また、ギリシャの詩人はみな海に近いところで生まれました。山の方の生まれの作家は一人もいません。水のイメージというのはひとつの世界の特徴であって、どこからそれが生まれて来るのかは分かりません。なぜ湖や川、雨が登場するのか、それは私にも分かりませんし、むしろ精神分析上の問題であり、私の世界の特徴だと思います。
 ただ、このようなことがありました。ある日、私の事務所に撮影監督のヨルゴス・アルヴァニティスがやってきて、椅子に座る前に、「テオ、今日、外で雨が降っている。撮影しよう」と言ったのです。私だけでなく、撮影監督である彼にとっても、外で雨が降っているという事は、撮影の正体のようなものです。それがなぜなのかは分かりません。
 また、「再現」のロケハンで、美しい村を探して、高い山の上の電気もない村に行った時、そこには石造りの家があり、雨が降っていました。石畳は濡れて黒くなり、数人の黒い服を着た人たちが家の中へ消えていくのです。遠くからは、愛の歌を歌う老人の歌声が聞こえ、そのほかには、細かい雨が降る音以外、全くの静寂でした。この村で「再現」の撮影をしました。この村のイメージが私にとって原初の映像なのではないでしょうか。それ以降、この原初の映像が私のすべての仕事を条件づけてきたような気がします。

オープニングのあの村の美しさは感動的ですが、監督も「よく撮れたな」と思われていますか?

 この映画の中で何が気に入ったのか、お話することが出来ません。もちろん、撮影が終わってから編集をして何度も何度も見直しています。一年くらい時間が経てば、この作品をひとつの作品として、見られると思います。昔、トリュフォーがよくこんなことを言っていました。「映画を作る為にやりたかったことの30%が出来たら良しとしなければならない」と。

エレニが泣くシーンが数カ所ありますが、演出にこだわった事とか、泣き方を変えたりさせるなどあったのでしょうか?

 私の方から泣くように要求したのは最後のシーンの1回だけです。それ以外は彼女が自分自身で泣き始めたのです。それは彼女の選択でありますから、私は彼女の演技をそのまま生かしました。
 私自身、辛い歴史の時代を生きてきました。私が1歳だった時、1936年に、第一次独裁制が敷かれ、5歳の時には第二次大戦でイタリア・ドイツとの戦争に入り、そして9歳の時にギリシャにおける内戦、市民戦争が始まりました。その度ごとに私が見たものは、喪に服する人たち、泣き叫ぶ女性でした。私は、妹が亡くなった時の母の泣き叫ぶ声を今でも覚えています。その声が、この映画の中で女性が泣く声に反映されています。私は男性よりも女性の方が悲劇的であると思います。男性は戦争に行き、女性は死者の前に行って涙を流すのです。二十世紀、私の母を含め女性はいつも泣いていました。二十世紀の歴史は女性の涙とともにあったのです。


 会見終了頃、サプライズ・ゲストとして、アンゲロプロス監督と親交のある女優、岸恵子さんが来場されました。「エレニの旅」はアンゲロプロス監督が母に捧げた映画。そしてこの日は岸さんにとっては母上のご命日で、母上に捧げられた新しい本が出版され、そんな多忙ななかを縫ってアンゲロプロス監督への激励と友情の特別訪問でした。岸恵子さん著「私の人生 ア・ラ・カルト」(講談社)は全国書店にて発売中です。 来日記者会見
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